文の違和感
緊急事態宣言、解除されましたね
新しい世界に突入、ということでしょうか
政府は、第2波、第3波、、
まだまだ不安は残るけれど、とりあえず経済が止まることを懸念して
一旦解除するけど、、あとは君たち国民の責任だからね~~
、という感じでしょうか
いよいよ自己責任の時代です
さて本題ですが
小学生の作文を読んでいると
いわゆる英語で言うイディオム、が出来ていない子が多いことに気づきます
「どうしてかというと・・だからです」
「私の気が付いたところは・・・なところです」
ある一定の年代の人なら、当然このことばで締めくくるだろう、と感覚で覚えている
文脈が、なぜか、組み立てられていないのです
書いているうちに、その文がどういった書き出しで始まっていたかを忘れてしまったのかとも思えなくもないですが、どうもそうばかりではない。
文の公式が頭に入っていない子供たちにとっては、所謂その違和感を気づくことができない。
恐らく、正確な構文で文を話すことなく生活しているから、でしょう。
今は、ちょー、ヤバい、まじ、、、一言ですべて表現できてしまう、ある意味文脈というものが存在しない世界でもありますから。
高校生のとき、英語の勉強の際に、100の標準構文をひたすら暗唱する、という練習をしました
考えなくても自動的に英文が口から出てくるようにするために。
つまり、「なぜなら」で始まった文は必ず「・・だからです」と〆ないと気持ち悪くなる。===この感触です。
言葉は体感だと思います
なんか変、なんか気持ち悪い、
こういう感触がわかるようになるまで、繰り返し文章を書く、話す、これが大切だと思っています
私は、頑張って、しつこく(≧∇≦)添削し続けます