瀬戸内寂聴さんのこと
いつかはこんな日が来るんだろう、とは思っていましたが、、
瀬戸内寂聴さんがお亡くなりになりました
著書はたくさん読ませて頂きました。
数多くの恋愛遍歴からくる晴美さんの色めく恋愛小説から、お年を召されてからの仏教に裏打ちされた心に響く言葉の数々、、、嵯峨野の寂庵も伺ったことがあります、そこに来られている多くの方の何かに縋るような必死の眼差しを今でもはっきり覚えています。
私は、ファンというわけではありませんので、彼女を無条件でほめたたえる立ち位置ではありませんが、特異な人生を生きてこられた、人として豊かな先輩の、彼女の書かれるもの、話される言葉、を見過ごすことはできませんでした。その結果本棚には彼女の著書がたくさんあります。
新聞のエッセーも、お休みになられるまでずっと拝読していましたが、近年は、コロナ禍の苦痛とご年齢をその文からとても感じ、ご自身よりお若いお知り合いの方が亡くなった時などの彼女の文章からは、儚さというか、厭世感というか、とても弱弱しいものを感じ、予感めいたものは感じていました
世の中には、ものすごく悲しんでいられるかたがたくさんいらっしゃるでしょうし、100歳まで生きてほしかったとか、いやいやそれ以上もっと生きて助けてほしかった、とか、そういわれる方は多いと思いますが、
ただ、もしかしたら、ご本人は実はほっととされているのでは、などと感じています、、
たくさんの人の思いや苦痛を一気に受けとめていらっしゃって、ほんとに重かったのではないかな、、などと。
長く認知症を病んでいた母が亡くなったときも同じように思いました。意味は違いますが。
背負うものが重いひと、それを近くで見続けているひと、にはちょっと普通とは違う感情もあるのではないのかな、と勝手に思っています
重かった肩の荷をおろして、静かな時を過ごされてほしいと思います
娘が今仕事で京都にいるので、訪ねていこうかな、紅葉を見ながら、かなり寒くなっているだろう嵯峨野にも、足を運んでみようかな、と思っています。
#瀬戸内寂聴 さん