半年ぶりの山
コロナ感染症の世の中になって
ほんとうに生活が変わりました
大好きな山に、全く行けなくなってしまいました
ほんとうなら今頃は槍に登るはずだったのに・・(´;ω;`)
足が動けなくなったらどうしよう
ずっとそんな恐怖感に襲われていました
で、
朝早く目が覚めてしまったのもあり、
実はひっそりと高尾山に行ってきました(高尾山は東京だし・・)
登山開始8時、速攻ピストンで、
帰りの高尾山口駅発の電車には、10:30には乗っていました(*^-^*)
幸い小雨だったので、人はほぼ誰もいなく、気温もそれほど高くなく、、
景色はそこそこに、それでも山の綺麗な空気をしっかり吸ってきました
ただ、マスクしながらの登りは少々キツかった💦
でもこれからはこのスタイルがスタンダードになるんですね
やはり、たまには身体動かさなくては・・
ね
文字を上手に書くために必要なこと
前回、文字の形には公式がある、とお伝えしました
今日は、空間、について・・
書道は、空間認識能力がかなり必要になります
全体のバランスの中で、どこにどう空間をつくるか
どこまで墨の黒を延ばすか・・
自動車を運転していて細い路地に入ってしまったとき、
そこそこのスピードでその道を走り抜けられる人は、車幅感覚が優れているんだと思います
身体の一部がここまで行くとぶつかる、ということを体感で認識している、ということでしょうか
書道の空間認識は、この感覚に似ている、といつも思っています
私は、書を書くときに、「空白」を一番に考えて書きます
書道は基本的には白と黒の世界
その中でどうメリハリをつけるか、表情を付けるか、はとても大切です
渇筆、といってカスれた墨もアクセントになります
これらの「白」を意識して表現する力、が大切です
これは上級者だけの話ではなく、
小学生の書く文字でも同じです
たとえば、
「白」、という文字の二つの空間、これをきちんと同じ面積にできるか、
・・これって割と難しいんですよ
毛筆を練習したら、ペン字も上手になるか
字が上手になりたいので、書道を習いたい、
よくそのように言われます
果たして毛筆の練習をして、ペン字が上手になるか、、
答えは、yes です
文字は、感性で書いているように思われますが、
(実際、生まれつき字が上手、とか字の上手さは遺伝、などと言われることがあります。そこにも一理あるのですが、そのお話は、また別の機会に・・)
文字には、一定の決まりがあります
その決まりを勉強して、公式に当てはめていくことができれば、基本的にきれいな文字が書けるようになります
学校では、もちろん教えてくれませんし、書道教室でも、その決まりを具体的に教えてくれるところは割と少ないようです
私は、子供たちの毛筆のお稽古をするときに、その公式を意識して教えるようにします
毛筆は、一文字一文字じっくりと筆を進めるので、考えながら文字を書くことができます
・・すると、硬筆を書くときも自然にその形で文字を書くようになります
文字の形を整えることが習慣になっているからです
いわゆる「きれいな字」というものは、割と簡単にできます
ただ、
毛筆、いわゆる突き詰めた「書」、というものは、ある一定の水準を超えると、
芸術の域に入ります
よく見る、「何が書いてあるかわからない、、、」というあれです
実はここからが本当の書道なのですが・・(*^-^*)
助詞のひろがり
小学生の文を読んでいて次に気になることは、
助詞の使い方です
本来助詞は単独では意味を持たないものではありますし、
単純に文を作るうえでの接着剤のような役割を果たします
更には、
使い方によって、そしてそこに読み手の想像力が合致することにより、
作者の意図するところをたったの1文字で効果的に伝えることのできる果てしなく広がりを持つ文字であります
私の思いは、空に向かって
私の思いは、空へ向かって
に、だと、単純に空に向かっている、という視覚的な表現に留まる印象ですが、
へ、になることによって、何か想いを意図的に空へ追いやる、広い空の空間、奥行き、書き手の含み、、を感じることができます
プレバトの夏井先生の俳句の添削を見ていて、いつもなるほど、と感服しています
季語の使い方や、語順などの指摘も的確ですが、
こと、助詞の使い方においては、素晴らしい
この短い575文字の中で、こんなに空間の広がりを豊かに表現できるんだ、というのはこの番組を見て再発見したことです
・・とはいえ、私には俳句の才能はまったくないようで、何度お題を見ても、いつも何も浮かびませんが・・・
子供たちの作文に置いての助詞の使い方は、まあ、これとは別の次元の問題ではありますが、
優しいと思っていたお母さんが、厳しいお母さんの、であるというところが。。
学校が、泥棒が入ったという知らせで。。
お友達が、どんな性格が気になったので。。
──こんな文が普通に登場します
前回書かせて頂いたイディオムの使い方と同様、文を作るうえで、
もっとも基本になるところです
どれだけ語彙力が豊富でも、言葉と言葉をつなぐ橋がボロボロでは、
それはだめです
今月は、「助詞の持つ意味」で、集中レッスンしてみよう、と思っています
文の違和感
緊急事態宣言、解除されましたね
新しい世界に突入、ということでしょうか
政府は、第2波、第3波、、
まだまだ不安は残るけれど、とりあえず経済が止まることを懸念して
一旦解除するけど、、あとは君たち国民の責任だからね~~
、という感じでしょうか
いよいよ自己責任の時代です
さて本題ですが
小学生の作文を読んでいると
いわゆる英語で言うイディオム、が出来ていない子が多いことに気づきます
「どうしてかというと・・だからです」
「私の気が付いたところは・・・なところです」
ある一定の年代の人なら、当然このことばで締めくくるだろう、と感覚で覚えている
文脈が、なぜか、組み立てられていないのです
書いているうちに、その文がどういった書き出しで始まっていたかを忘れてしまったのかとも思えなくもないですが、どうもそうばかりではない。
文の公式が頭に入っていない子供たちにとっては、所謂その違和感を気づくことができない。
恐らく、正確な構文で文を話すことなく生活しているから、でしょう。
今は、ちょー、ヤバい、まじ、、、一言ですべて表現できてしまう、ある意味文脈というものが存在しない世界でもありますから。
高校生のとき、英語の勉強の際に、100の標準構文をひたすら暗唱する、という練習をしました
考えなくても自動的に英文が口から出てくるようにするために。
つまり、「なぜなら」で始まった文は必ず「・・だからです」と〆ないと気持ち悪くなる。===この感触です。
言葉は体感だと思います
なんか変、なんか気持ち悪い、
こういう感触がわかるようになるまで、繰り返し文章を書く、話す、これが大切だと思っています
私は、頑張って、しつこく(≧∇≦)添削し続けます
お子さまの作文、どうしてますか?
もともと、都内で書道のお教室をしていますが、
あるお母さんに相談されて、こどもたちの作文指導を始めました
以前、某大手教育会社で大学受験生用の小論文の添削指導をしていました
その後、就活のエントリーシート添削や、お受験用の願書のお手伝いなど、
文章に関わるお仕事を長年していました、
小論文の添削はかなり長いこと続けていたのですが、この仕事をなぜ辞めたかというと
高校生、つまり大学受験の学生さんたちの中にはかなりの確率で
シンドイ想いをしている子が多かったこと
書いているうちに小論文のテーマからずれて、悲観的な文章に変貌していく子が
とても多かったのです
最後の総評欄に励ましの言葉をさりげなく(あまり添削とかけ離れたことを書くと
本部から注意がありますので(´・ω・`)、書いていたのですが、
それも、さすがに何年も続けていると読んでいる私のメンタルもかなりきつくなり。。
当時は子供も小さかったので、子供が寝てから添削をしており、
夜中2時3時になることが多々あり、
その時間にそういった文を読むのは、ちょっとつらく。。
などという経験からです
このことは余談でしたが
またまた、その業界に足をツッ込んだ、という感じです
緊急事態宣言により、お家で過ごそう、の時代、
また、学校が長く休校になっていることもあり、
お母様がたのお子さんの学力に関する心配温度は頂点です・・
でもそんな自由な時間、実はとても贅沢
おうち時間を使って、お子さまたちには
是非たくさん本を読んでほしいな~~、と思っています
書道とは違って、文章、って、すぐ直るんですよ
これから、ここでも、生徒さんの作文から気づいたこと、ちょっと書いてみようと思っています
気になる方は、是非、参考にしてみてください!!
通信添削を始めてみて
外出自粛宣言のため、しばらくお教室をお休みしています
でも、お子さんはお家にいるわけで、時間もたっぷりあるわけで、お母様方も子供たちに何かしてもらいたい、と思っているわけで、
では、家で書いてもらおう、と思い、通信添削を始めてみました
作品と一緒に
生徒さんの手書きのお手紙が入っていたり、
いつもはあまり取り立てて話さないようなこともお返ししてみたり、
お母様とのLINEのやり取りも増えて、色々話せたり・・・
お教室でのお稽古とはまた違った新しい世界です
これはこれで、割とよいかも、と思ったことと、
書道って、割と、リモートでも可能なんだ、ということ、
新たな発見です
#おうち時間何してる?