キレイな字を書きたい人に  

映画やテレビの書道作品を書いています。東京日本橋で書道教室も開いています

黄色いリボンのメッセージ

黄色いものの意味っていろいろあるようです。

日本で有名なのは、幸せの黄色いハンカチ、あなたを待っています、という意味ですね。

 

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犠牲になった人やその家族の悲しみをみんなで分かち合おう。ずっと彼らを覚えておこう、

というメッセージを込めて、当時、韓国ではイエローリボン追悼キャンペーンが行われました。

 

子供を持つ母として、たくさんのお子さんを預かっている教師として、子を失うことの激しい悲しみは実感こそないにしても、容易に想像できます。どれだけおぞましい事件だったか、思うだけで凍り付きます。

 

2014年の今日、セウォル号事故が起こりました。

修学旅行中の高校2年生約350人が犠牲になりました。当時はパク・クネ政権下でした。政府はこの事故について正しい情報を隠蔽しましたが、その後、それも何年も経ってから、詳細が明らかにされます。船長はじめ多くの船の乗組員は自分たちが助かるために、高校生たちには船内に留まるように指示し、多くの若い命が犠牲になりました。

後に公開されたものを聞いたのですが、亡くなった学生の中にはメールやビデオでメッ
セージを残している子がいました。録音されたとぎれとぎれの言葉の中に、ご両親への
悲しい思い、「会いたい」、という言葉が残っていました。
 
 
「この大空を舞う粉雪のよう舞えるなら君へ、すぐ辿りつけるはずなのに、雪の花びら   
舞い降り消えていった。会いたい」
 
世の中の大人たちは過ぎたことは忘れなさい、というけれど、僕たちが覚えている限り彼らは僕たちの中でずっと生き続けるんだ。 「spring day 」by BTS

 

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忘れてはいけない、と思います。
 
 
 

52ヘルツのクジラたち

本屋大賞に選ばれましたね。「52ヘルツのクジラたち」。

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52ヘルツの周波数で鳴くクジラがいるといいます。普通のクジラは10から39ヘルツで声を発しているので、彼らwhalien 52の声は他の鯨には届かない。世界で一番孤独な生き物だと言われています。

 

理解されにくい人たちにスポットを当てている小説ではありますが、

今、この本が大衆に受け入れられた背景には、実は、特に自分はマイノリティ―ということではないと思うけど、何か抱えている問題があるわけではないけれど、普通の生活を送っている人間だけれど、それでも私の声をだれか聞いてくれないかな、

そんな現代人に受け入れられたのかもしれませんね。

コロナ渦の世界、みんな家に閉じこもって声を出しても誰にも聞いてもらえない。そんな毎日を送っていくうちにだんだんと声を発することすらしなくなる。

でも、52ヘルツのクジラだって、誰にも聞いてもらえない彼らだって、一生懸命声をあげているんだよ。きっとどこかで私の声を拾ってくれる人がいるかもしれないね。

そんなメッセージを大衆が欲しがったのかもしれません。

 

 生きにくい人たちの発する声を自然に受け止めることや、それに共感して、一緒に生きていく、ということを、52ヘルツの鯨と重ね合わせていくストーリー展開は、とても儚くて、暖かくて、優しい小説でした。
虐待やら、疎外など、悪の描写はなかなか激しくて、読んでいて結構シンドかったのですが、それでも結局一気読みしてしまいました。表現のうまさと文体の軽やかさ、設定した背景がよかった。また、単なるめでたしめでたし、に終わらず、現実も見据えたエンディングになっているところもなかなかよかったですね。

最後、海で52くん(男の子の名前)の声が届いた時の、安堵感と爽快感は、いいです。目の前の海の中、クジラくじらが潮を吹く情景が目に浮かびました。

 

そもそもこの本を手にした理由は、「whalien 52」という曲が大好きだからなのですが、↓ にその歌詞の一部載せておきます。

寂しい、寂しい、孤独なクジラ
こうして一人で歌ってる
離れ島みたいな僕も
明るく輝ける日がくるのかな
寂しい、寂しい、孤独なクジラ
こうやってもう一回歌ってみて
返事のないこの歌が
「明日」に届くまで

第63回グラミー賞とBTS

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明日は、アジア人である私たちにとって、音楽業界における歴史的な日になるかもしれません。

 

日本時間15日に第63回のグラミー賞各部門の発表、授賞式があります。

その中の、BestPopDuo/GroupPerformance部門に、BTSという韓国の7人組男性グループがノミネートされいます。さまざまな差別や偏見から若ものたちを自らが盾になって守る、という意味の「防弾少年団」というグループ名で、7年前に小さなレコード会社からデビューしました。アイドル文化の盛んな韓国では、大きな事務所がいくつかあり、彼らはその中でたくさんの難しい階段を1段1段昇り、さまざまな試練や困難を乗り越えて、ここまでたどり着いた才能豊かな美しい男の子たちです。防弾少年団を応援して守る、という意味で、彼らのファンダムをArmyといいます。明日のグラミー賞の結果は、彼ら7人と応援してきたアーミーのこれまでの人生の結果が出る一つの区切りになります。

 

これまでアジア人がグラミー賞の各賞を取ったことはありません。

今回ノミネートされた「Dynamite」は、英語の曲ではありますが、基本的に彼らは母国語の韓国語の曲で活動しています。アジア圏の言語で歌うアーテイストが受賞するのも初になります。

そして大きな背景として、まだまだアメリカの音楽業界は、アジア人への偏見が残っていて、それは簡単に払拭されるはずもない、ということです。ただ、反対に有色人種や女性への偏見に対する大きな抗議の波も起き始めていて、それがかえって彼らを後押しすることになるかもしれない、という意見もあります。

同じ賞には、ジャスティンビーバーやレディガガなど著名なアーティストが名を連ねています。その中で、彼らが受賞できるかどうかは大変注目されていますし、彼らがもし受賞したら、とても歴史的で画期的な出来事になります。

 

世界の音楽業界にとって、パンデミックを経験した世界がどのような形で音楽に今後関わっていくか、何を認めていくか、そして、世界の音楽界の中でのアジア人の地位、これからのジェンダー社会の方向性、など多くのことが問われるとても重要な日だとも勝手に思っています。

 

「Dynamite」という曲は、コロナの蔓延する今の世の中で、少しでも明るく楽しく生きていこうよ、人生はまだまだ続くよ、という思いが込められています。コロナがなかったら生まれていなかった曲です。

メンバーの人間性や彼らの音楽、パフォーマンスの完成度、などについては、たくさんの情報が溢れていますので、ご興味があれば是非。(沼に落ちていくのをご覚悟の上で・・)

 

メンバーの中に、英語がとても堪能で頭脳明晰なRMというリーダーがいます。彼は、数々のマスメディアで素晴らしいスピーチを行っています。 ↓ は、国連総会で、ユニセフのグローバルサポーターとして、世界中の若者に、「Love myself」、まずは自分自身を愛そう、という感動的なスピーチを行った時の映像です。

是非、クリックしてご覧になってみてください。涙が止まらなくなります。

反日の国の人、とか、韓国はちょっと、、という先入観はちょっと置いておいて、若い人たちに是非聞いていただきたい。子供たちに関わる仕事をしている私は切に思います。

youtu.be

 

 

そして、以下↓は、彼が、グラミー賞授賞式を前に話した、若者に向けてのメッセージです。

 

「何かを成し遂げたように見える人に、「僕たちもできたから君たちも絶対できる。」そう言われても僕はあまり信じません。さまざまな複雑な理由で苦しんでいる世界の若い世代に「僕たちはできます、頑張りましょう」と単純に言うのは無礼かもしれないと思います。

ただ僕が言いたいのは、「それでも希望がある」ということ。

人生は予測不能で不確かなものです。

だからこそ生きる価値があり、楽しいものだと思います。」

 

 

グラミー候補や受賞することより、自分たちはパフォーマーなので、グラミーの舞台でパフォーマンスをすることが大事で嬉しい、と言っています。

 当日は、BTSはパフォーマンスアーティストに選ばれています。

コロナで渡米はできないので、韓国の某高層ビルの屋上で、かなり豪華なパフォーマンスをするという情報があります。

結果よりも、彼らの目標であったグラミーのパフォーマンスを、私はとても楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 

ミクテ、とは? カセットテープのはなし

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最近、ミクテ、という言葉に触れることが多くて、かといってなんとなく人に聞くのもなんだし、、まあ、アーティストの個人的、というかオフラインの音源のことだろうな、とはうっすら思ってはいたのですが、先日、Twitterで、「ミクテってカセットテープかと思ってたんですが、今どきカセットってあるんですか?誰にも聞けなくて・・」というツイートがあり、

あ、似たような人がいる、っと思って、♡イイネ!!をしたら、後々その投稿の♡の数が大変なことになっていました。若いアーテイストのファン仲間のTwitterだったのですが、結構昭和な人いるんだなあ、と安心した、という話です。

 

そもそも、ミックステープとは、(調べてみました。)

1970年代に、アメリカで、ヒップホップやレゲエ、R&Bなどを進化、広めたさせた影の方法で、パーティーやクラブに来られない人に向けて、アルバムやシングルを切る前の曲を広めるために作られたカセットテープのこと、だそうだ。人気のDJなどのミックステープに未発表の音源を載せて、公式ではない形で広まっていったものらしい。

「ミックステープとは」、で調べても、なかなかこれと言って明確な回答がみつからない。基本的にその定義は曖昧なようだ。レコード会社から公式に発売されるのがCD、アルバムで、それ以外の方法(YouTubeやMP3、あと個人的にCDに落として販売する場合もあるみたい、とか)を使って配給されるのがミクテ、ということはおおむね間違いではなさそう。(←ごめんなさい、全くの専門外なので、とんちんかんなこと書いていたらお許しを🙇)

 

テープ、という言葉。結局ミックステープとは、そもそもカセットテープで普及したという名残でそのワードが今も使われているらしい。

有名なアーテイストも公式のアルバム以外に個人的に作った曲をミクテで出していることもあり、そのほうがその人の素の世界観が出ていたりして、実は私は割とそっちのほうを好んで聞くことが多い。

 

 

今朝の天声人語は、カセットテープを発明したオランダの技術者の方が亡くなったという訃報に接し、「世界の中心で、愛をさけぶ」の主人公が、テープでお互いの声をやりとりしてましたね、という内容でした。

 

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私の若いころは音楽を身近に保存するには、カセットに録音する方法しかなかった。それも、ラジオやテレビのスピーカー部分にマイクをくっつけて、集中して録音ボタンを押し、息を呑んで、その曲が終わるのを待つ。しっかり「停止」ボタンを押すまでは

カサカサという衣擦れの音(??)さえ出せない。母親が向こうから自分を呼んだりしたら、それは、もう一貫の終わり・・

WALKMANが出たときは、大好きな歌手の曲を外に持ち出せてそれはそれは嬉しかっったなあ・・WALKMANってネーミングも改めて斬新だなあ、と感動する。

「my love song」とか、ダサい題名を付けてカセットの両面(カセットってA面とB面があって、それぞれ12~13曲くらい録音できたような気がする。)に好きな曲をいっぱい録音してお友達のお誕生日にプレゼントしたり、好きな男の子からビリージョエルのピアノマンのLPを借りてカセットに落として何回も聴いたこと、なんかすごく覚えている💦

そんな青春時代だったなあと懐かしく思います。

 

V6が解散する、って昨日悲しい知らせを耳にしましたが、彼らもそうやって思い出になっていくのね・・

 

 

今はサブスクとか、MP3、YouTube、色々な手段があり、いわゆるハードを持たなくても音楽は自由に、それも大量に持ち運ぶことができる。

 

でも、なぜか、私は買いたくなってしまうんですよね。

天声人語の筆者が書いているように、確かな手触りがほしいのかな。

この丸い、四角い、中に、自分の大切なものが入っていてそれは私だけのもの、という実感がほしいのかな。

 

さすがに、押すのは、カセットテープの録音ボタンではなく、CDのonではあるけれど。

人の中に生きるということ

別のブログに、昨日「spring day」という曲に込められた思い、について検証する、という投稿をしました。

その曲は、自分は生き残ってしまったけど、その大きな事故で亡くなった友人を忘れようと思うけれど忘れられなくて、葛藤していく中で、彼らのことをずっと覚えている限り彼らは自分たちの中で生き続けるんだ、それに気付いたんだ、という歌。

 

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これを書きながら、誰かの中に生きる、ということを考えていた。

私はこれまでの人生で誰かに何かを相談して決めたことがない。どんな時も一人で考え一人で判断して生きてきた。誰かと共に生きることも誰かの中に生きるということも、いまいちよくわからない。

 

 父が亡くなった後のお葬式か1周忌かなんかで、喪主の挨拶のとき、「人は2回死ぬって言われています。1回目は本当に肉体が亡くなったとき、2回目は、その人のことを覚えている人が誰もいなくなったとき、だから父のことを時々思い出してください、、みたいなことを言った。

 

 「生者必滅 会者定離」  しょうじゃひつめつ えしゃじょうり

生まれ来る者は滅び、出会っても別れる定め

 この仏教の教えの底には、生きる者、形あるものは常に変化していく、という意味が含まれているそうだ。亡くなった人は戻ってこない。でも、関わった人やあらゆるものにその人が生きた証は残る。残された人を支え、ともに歩む力になる、ということだそうだ。(今日の朝日新聞のコラムに載ってました。)

 

桜の花が咲くこの季節、毎年この季節には、実家の近くの米軍住宅跡地の公園で満開の桜の下、家族でワイワイお花見をしたことを思い出す。父はほんとに楽しませてくれる人だった。アイデアいっぱいで頭がよく知識が豊富で、なんでも知っていて優しくてほんとうに大っきい人だった。私が、今偉そうに、誰にも相談したことがない、なんて言っているけど、実はそんな父がいたから、おのずと答えがでていたからかもしれない。

 

このコロナ禍の世界、私たち現代人がかつて経験したことのない世界。

こんな時だからなのか、感傷的になっているだけなのか、

父が生きていたら、こんな閉塞的な毎日、どんなことを考えついて、明るい毎日を過ごす手立てを教えてくれたのかな、と、この日々を父が生きていたらどう考えただろう、と、

 部屋から眺める花が散った後の新緑の桜の木を見ながら、自分の中の父にちょっと話しかけてみた。

 

篠田桃紅さん

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書家、というのか、美術家というのか、

篠田桃紅さんが、1日、101歳で亡くなった、と聞いた

 

自分のお師匠さん以外で私が唯一尊敬している書道家の方だった

 

墨象、と言われているが、文字ではなく、墨で線、を書かれる方だ

彼女が書く墨の色は、紙を超えてずっと遠くまで延びていて、

本当に空の果てまで続いているのではないか、と思うほど

のびやかで、果てしなくて、宇宙を感じる

 

 

大正時代に旧満州で生まれ、お父上から書を習い、独自で新境地を切り開いた。

若いころは、ニューヨークに住んで、アメリカやヨーロッパでも多くの個展を開き、世界的にも認められた。

 

いつも和服を着られていて、とってもかっこよかった

大きな筆や、紙が溢れる素敵なアトリエにある大きな硯で墨を磨っているのも素敵だった

極めているように傍からは見えるのに、いつも謙虚で、なにかにこだわる感じもなく、フワフワした生き方をされているように見えた

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何度も個展に伺ったし、著書もたくさん持っています。

作品だけでなく、その生き方にも、憧れていました。

 

ご冥福をお祈りします

 

 

 

 

love yourself

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love yourself 、love myself

 

大好きな言葉です

 

 

作文教室の3年生の生徒さんが書いたこのフレーズ。心に響いてしまったので、お母さんの了承を頂いて、一部載せます。

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「人と自分をくらべない。私はわたしでいい。」

 

こんなことが書ける彼女がほんとに羨ましく、また、こういうことが言えるようなお子さんに育てたご両親にも感動しました。

 

 

 

時代なのかもしれないですが、子供のころから比べられて、競争の中で生きてきました。

私は未だに、(いい年して・・)自分というものがどこにいるのかわかりません。

ほんとの自分がどれなのか、自分を愛するなんていっても、どの自分を愛せばいいのか、

正直なところまだふらふらしています。こんな風に、私はわたしだから、なんて潔く言えたらいいなあ、と単純に感動してしまいました。

 

 

彼女の作文はもう長いこと読ませてもらっていますが、時々、はっとさせられる表現に出会うことがあります。文は上手に書くことが大切ではなく、大切なのは、読む人の心に何か小さくても足跡を残すこと、そこには大人とか子供の差はなく、いかにものを感じる心を持っているか、そしてそれをどれほど忠実な言葉で表現できるか、ということだと思っています。彼女の文はいつも小さな輝きを持っているので、私はとても好きです。

 

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「表現したいことはたくさんあるけれど、それをあらわす言葉を見つけることが難しい。」

最近、ある若いアーティストが作詞をする際に悩んでいることをこう表現していた。

そのために、たくさんのことを経験して、自分の中に多くのことを吸収したい、

と。

 

 

まさにそうだと思う。いろいろな経験をして、たくさんの本を読んで、自分の中にたくさんの引き出しをつくること。経験したことを表現することばをたくさん知ること。

そんな経験をたくさんしていってほしい。

失恋のつらさや、大切な人をなくした悲しさ、寂しさ、時と共に過ぎ去っていく時間の喪失感、、そういったものをたくさん経験して、美しい言葉で表現できるようになってほしい。若いころに経験したことは絶対に無駄にならないし、一生の宝物だ。

 

私とは違って、「私は私だから」という思いとともに大人になった彼女の作文を、いつか読んでみたいな、と思った。