文字の美しさ、とは?
画像ファイルを整理していたら、かわいい写真をみつけました。
伊集院静さんの「文字に美はありや」という本を読み始めたところなのですが、
この職業をしていると、
書家やお坊さんの筆字を持ってきて、これって上手なんですか?、とか
うちの子の字はこれで大丈夫ですか?、とか
よく聞かれます。
そんな時、そもそも、字、というものはなんだったのだろうか、と考えます。
意思を伝えるもの、気持ちを伝えるもの、もちろん事務的な文字もあるけれど、それだって何かを伝えたくて書いているものであるはず。
文字の中には思い、というものが存在していて、そこには、上手とか下手とか、美醜、なんて概念がそもそも存在しないのではないか、と実は思っています。
伊集院さんほどの人はどう考えるんだろう、とたまたま丸善で見つけて買ってきました。こちらの感想はまた別の機会に。
このテヒョンくんの文字をみて、私は単純に、美しい、って思いました。
形的には所謂上手な字、ではないかもしれませんが、母国語でない日本語を、ましてや漢字まで入り、これだけきちんと書くのには、それなりの練習時間と、思いが必要だったはずですよね。
一文字一文字つなげていくと文になる、心を伝えるメッセージになる。愛も伝えられるし、憎しみも、悔しさも、もちろん悲しさも伝えられる。
文字の美しさとは、見た目の均衡の美、ではなく、その中に込められた思いの深さ、強さ、なのではないかと思うのです。
私は子供たちに、上手に書きなさい、と言ったことはないですし、基本的に彼らの書いたものを否定はしません。
ゆっくり丁寧に、そして、心を込めて書いて、と言います。
もちろんそれが絶対ではないですが、思いが相手に思いが伝わる確率は、高いだろう、と思っています。
私は、映画やドラマの作品を書くとき、1枚の作品を仕上げるのに、100枚単位の数、書きます。
なかなか納得いかず、締め切りギリギリに慌てて追加で紙を買いにいくこともあります。
字に思いを込めるのは実はとても難しいです。
「女性の橋本会長」ではなくて
今朝の天声人語、なかなかいい感じだったので、載せます。
最近、コロナのおかげで内向き感に拍車がかかり、ほぼSNSと映像内の韓国の方角ばかり向いて生活していましたが、
その間に、女性のオリンピック大会委員会長(役職名、詳しくはわからない)が誕生したり、大坂なおみちゃんがまたまたセレナを破って決勝に進出したり(やっぱり18年の優勝も実力だったのよね、って一瞬思ったけれど、でも彼女はあのときの出来事(事件??)があったから、余計にこの2年がんばったのかもしれない、とも思えないこともないし、いづれにしてもほんとに彼女はかっこいい。今年は体つきが半端ないよね、どんだけトレーニングしてきたか身体を見るだけでわかる)、日本の動きもなかなかすごいじゃないか、とふと足元を見直して、そう思った。
声高に、フェミニストやジェンダー問題を叫んでいるわけではないけれど、女性が活躍することは素直に嬉しい。
遥か昔、男女雇用機会均等法、などというハイカラな法律(というか、それまで雇用機会が均等ではなかったのか・・怖💦)が成立して、その年に就職活動をした。(歳、ばれる)。当時頑張り屋さんだった私は、日本で初めての女性の総合職を目指してみた。面接官に聞かれることは、「結婚したら、仕事はどうしますか?」「子供ができたら会社は辞めますか?」、「辞めません」、「では、出張先で子供が熱を出したらどうしますか?」・・延々そんなやり取りが続いたことを覚えている。
受かったところもあるし、落ちたところもあるけれど、結局女性ならでは、の職について、バブル期の楽しい生活を送った。
今回のオリンピック会長の件も、世界の目があるから、女性がいいんじゃないか、みたいな発想になっているけど、
ほんとのところ、女性で、とか、男性で、とか
そもそもその発想がなくなればいいと思う。
これも新聞だったかと記憶しているけど、
「交通事故に会ったお父さんと息子が、救急車で病院に運ばれてきました。それを見た救急医が、「え、うちの息子じゃないか!!」と叫んだ」、という話。
落ち、わかりますか?
「女性の橋本さん」、じゃなくて、「めっちゃすごいオリンピアンの橋本さん」とか、「努力の人、橋本さん」とか、そんな表現が当たり前のようになる時代が来るといいな。
GACKTさんの話を聞いて ペットのこと
GACKTさんが、ペットロスになったご友人にご自分の愛犬(何匹か飼っていらっしゃってそのうちの1匹で生後何か月かの子犬だそうです)をプレゼントした、という話を聞きました。
また、ご自身のyoutubeでその様子を流して報告すると、バッシングが多く、それに対して、批判も受けます!!とか言ってらっしゃるそう。
お正月の格付けランキングとかで拝見していて、とても知識、見識豊富で素敵な方だと思っていたし、一時はインスタもフォローさせて頂いていたこともあり、悪いイメージは全くなく、むしろ好感を持っていたほうなんです。だから、なぜ?とう気持ちでいっぱいです。
彼自身をとやかく言うつもりはないのだけれど、
でもやはりこれは彼のお友達に対する愛情表現の「方法選択ミス」だったのでは、と、どうも腑に落ちなく、ここに来た次第です。
そもそも、どなたもご承知のとおり、動物たちは、ものではありません。ペットショップや保護団体から譲渡を受ける際にもそれなりの手続きと意思表示が必要だし、ケーキを人に贈るように、はいどうぞ、というものではありません。
今回は、譲られた方がGACKTさんから譲り受けたと知ると恐縮されるかもしれないので、ワンコをそっと置いてきた(どこに置いたのか、家の中なのかどうか、までは知りません、わざわざ追って調べるのほどのことでもないし、これ以上、本件の情報を更新したくないので・・)というのです。
突然知らない人の家に置いておかれたワンコはどんなに心細かったでしょう。
うちの下の仔は、保護犬としてうちに来て、もう2年も経ちますが、いまでもどんなに優しいお客さんでも怖がって吠えますし、私がトイレに立っただけでもワンワン言います。犬にも感情はありますし、恐怖も喜びも感じます。
辛い思いをして箱の中にいたうちのワンコと違って、GACKTさんのワンコは、きちんとしつけをされ暖かく育てられた子犬ちゃんだったかもしれませんが、そういうことではないはず。
なんか方法が違ったのではないですか、単純にそう思います。
ペットロスの癒し方は、その専門のセラピーさんがいるくらい様々な方法があり、そんなに簡単に、代わりの犬が来たからと言って心の寂しさが癒されるものではありません。
コロナ禍で、在宅時間が増え、ペットを飼うようになった人が増えたと聞きます。
そして、飼ってみて、思ったより大変だと言ってすぐ手放す人も多いと聞きます。
保護犬活動をされている方々がどれほど大変か知っています。
せっかく世の中に影響力のあるGACKTさんのような方なのですから、ましてや愛犬家でいらっしゃるのですから、別の方法、別の主張で、ペットたちを守ってほしかった。
切に思います。
今の山小屋事情 ~燕岳・燕山荘編~
北アルプス燕岳に登ってきました
久しぶりの山小屋泊です
コロナの時代、登山者も減り、山小屋の経営もとても厳しくなっています
山小屋支援プロジェクトもたくさん立ち上がっています
今回お世話になった燕山荘は、数ある山小屋の中でもおしゃれで、おいしいチーズケーキセットなど目玉商品もあって、人気のある山小屋です
実際行ってみて、
コロナ対策、とても留意して実践されていました
安心してゆっくりした時間を過ごさせて頂くことができました
山を愛する人にとって、山小屋は心の支えです
山小屋がなかったら、2000m、3000mの山は登れません
宿泊施設を用意してくださるだけではなく、救護、登山道の整備、、
それはそれは、目に見えないこと、たくさんしてくださっています
早く、また、混雑して、寝返りの打てないようなギュウギュウのベッドが戻ってきますように・・
・・ただ、普段は4人以上のお部屋にたった2人で泊めて頂いたのは、
実は、ちょっと快適でしたけど・・(*´σー`)
半年ぶりの山
コロナ感染症の世の中になって
ほんとうに生活が変わりました
大好きな山に、全く行けなくなってしまいました
ほんとうなら今頃は槍に登るはずだったのに・・(´;ω;`)
足が動けなくなったらどうしよう
ずっとそんな恐怖感に襲われていました
で、
朝早く目が覚めてしまったのもあり、
実はひっそりと高尾山に行ってきました(高尾山は東京だし・・)
登山開始8時、速攻ピストンで、
帰りの高尾山口駅発の電車には、10:30には乗っていました(*^-^*)
幸い小雨だったので、人はほぼ誰もいなく、気温もそれほど高くなく、、
景色はそこそこに、それでも山の綺麗な空気をしっかり吸ってきました
ただ、マスクしながらの登りは少々キツかった💦
でもこれからはこのスタイルがスタンダードになるんですね
やはり、たまには身体動かさなくては・・
ね
文字を上手に書くために必要なこと
前回、文字の形には公式がある、とお伝えしました
今日は、空間、について・・
書道は、空間認識能力がかなり必要になります
全体のバランスの中で、どこにどう空間をつくるか
どこまで墨の黒を延ばすか・・
自動車を運転していて細い路地に入ってしまったとき、
そこそこのスピードでその道を走り抜けられる人は、車幅感覚が優れているんだと思います
身体の一部がここまで行くとぶつかる、ということを体感で認識している、ということでしょうか
書道の空間認識は、この感覚に似ている、といつも思っています
私は、書を書くときに、「空白」を一番に考えて書きます
書道は基本的には白と黒の世界
その中でどうメリハリをつけるか、表情を付けるか、はとても大切です
渇筆、といってカスれた墨もアクセントになります
これらの「白」を意識して表現する力、が大切です
これは上級者だけの話ではなく、
小学生の書く文字でも同じです
たとえば、
「白」、という文字の二つの空間、これをきちんと同じ面積にできるか、
・・これって割と難しいんですよ
毛筆を練習したら、ペン字も上手になるか
字が上手になりたいので、書道を習いたい、
よくそのように言われます
果たして毛筆の練習をして、ペン字が上手になるか、、
答えは、yes です
文字は、感性で書いているように思われますが、
(実際、生まれつき字が上手、とか字の上手さは遺伝、などと言われることがあります。そこにも一理あるのですが、そのお話は、また別の機会に・・)
文字には、一定の決まりがあります
その決まりを勉強して、公式に当てはめていくことができれば、基本的にきれいな文字が書けるようになります
学校では、もちろん教えてくれませんし、書道教室でも、その決まりを具体的に教えてくれるところは割と少ないようです
私は、子供たちの毛筆のお稽古をするときに、その公式を意識して教えるようにします
毛筆は、一文字一文字じっくりと筆を進めるので、考えながら文字を書くことができます
・・すると、硬筆を書くときも自然にその形で文字を書くようになります
文字の形を整えることが習慣になっているからです
いわゆる「きれいな字」というものは、割と簡単にできます
ただ、
毛筆、いわゆる突き詰めた「書」、というものは、ある一定の水準を超えると、
芸術の域に入ります
よく見る、「何が書いてあるかわからない、、、」というあれです
実はここからが本当の書道なのですが・・(*^-^*)