かっこいい文章
文章の添削をしていてよく思うことがあります。
本当にこの言葉の意味を知って使っているのだろうか?
世の中には難しい単語やかっこいい言葉が溢れています。
難しい言葉を多用してハイグレード感を出している文をよく見かけますが、 オリンピックの時にちょっと書かせて頂いたスケートボードの解説者の方の、チョーやべーとか、すごいっす、とか、私としては逆にそういう表現を見た時の方が、感情をストレートに表現していてずっと素敵だと感じます。
重厚な言葉を文の中に入れ込めばそれだけで文章がプロっぽくなるという勘違いは、まあありがちです・・子供たちが、ちょっと背伸びしてそんな言葉を突っ込んでくる場合は、限りなく可愛くて、ニコっと笑いながら、「この言葉はどういうきもちで使っているのかな?」と赤ペン登場ですが!(^^)!)。大人の方、特にプロの方の文でそれを見てしまうととてもがっかりしてしまいます。重厚な言葉が嫌、と言っているわけではなく、重い言葉を使うならそれなりの技量やそれに見合った文章力が余計に必要だと思うわけです。。
言葉は単純明快なほうがよい、というのが私の持論です。小説家でもない限り、一つ一つの単語は、単純でわかりやすいものを使うのが一番。だって文はあくまでもいかに思いを人に伝えるか、ですから。
文章に花を持たせる、文に輝きを加えるのは、実は単語ではなく、接続詞であったり、助詞であったり、そういった脇役である、と思っています。
それらを上手に、的確に使っている文章は独特の個性が出ますし、場合によっては名文になり得ます。
かっこいいい顔ではなく、しっかりと脇を固めた、セカンドLINE重視の、そんな文章を書きたいと、常に思っています。(因みに、、アイドルはかっこいい顔の方が好きです💦)
※ 以前助詞の使い方、についてはこのブログで以前書いたことがあるのでよろしかったらこちらも読んでみてください。
国連総会に向けて SDGsって?
「持続可能な開発目標SDGsの支援を訴えるため、国連総会中のSDGMOMENTに、
国連事務総長とともにBTSが参加、世界にメッセージを発信します。」
#TBT to 2018 when @BTS_twt came to UNHQ during #UNGA.
— United Nations (@UN) 2021年9月16日
On Monday, they will visit us again to show their support for the #GlobalGoals.
Join them and make your promise for a better future for all: https://t.co/jtD3sXvpK7 pic.twitter.com/DEZUP5VSxG
先ほど、NYのJFK空港に7人が到着しました。
総会でのスピーチ頑張ってくださいね、そしてどうか無事元気におうちに帰ってほしいです。
・・彼らの乗る飛行機のフライトログを追っていました、、🤓・・
RMの感動的なユニセフのスピーチは前にこのブログで載せたことがありますが、あの時のことを思い出しても、明日のスピーチには期待しかありません。同じ時代を生きている一人の人間として、彼らを誇りに思います。そのことはまた聞いたあと、思うことがあれば書いてみたいと思います。
国連総会でのテーマはSDGsについて。
この言葉を最近よく見かけます。持続可能な開発目標、2030年までに達成すべき17の国際社会共通の目標、のことです。極度の貧困と飢餓の撲滅、とか、ジェンダー平等の推進や女性の地位向上、などの、わかりやすい内容から、環境の持続可能性確保、などという抽象的で一瞬なんのことかわからない言葉もあります。大手の企業では企業目標や実績として取り組まなくてはいけないということもあり、「環境問題に積極的に取り組んでいる良い企業」、というイメージ造りに使われる感が強いのですが、個人個人の身近なところにもその取り組みは転がっていて、知らない間に自分たちもSDGs行動していた、なんていうことも実はあるんですよ。
そもそも言葉が難解で、つい理解を避けたくなってしまいますが(日本はまだまだこういうところ、遅れていますよね・・)、
例えば、捨てるのもったいないから余分に食材を買わない、お料理方法を工夫する、とか、古い家を買っておしゃれにリノベーションをして住む、とか、小さくなった子供服をミシンで縫ってエコバック作っちゃった、とか。読み終えた本を廃棄するのではなくメルカリで売ってみる、とか。そんなこともこの項目の中に含まれる行動です。
子育ても終わり、子供たちがそろそろ自立しはじめて、これから私にできることって何だろう、と最近よく考えます。バブル期の消費、浪費に明け暮れた時代を生きてきた私たち、空気や森や海や、、色々汚してしまった我々世代が、これからの若者に、これから生まれてくる子供たちにできること。やらなくてはいけないのは、唯一、美しい世界を取り戻し、残してあげること、、そんな風にまじめに考えるようになりました。SDGsなどと難しい言葉を理解しようとしなくても、その気持ちを持つだけで、ちっぽけな私でもなにかできることがあるような気がしています。
明日のRMのスピーチの中に、また何かヒントがあるかもしれません。ジェンダーレスのことを中心に話すのかな、水素燃料を進めているヒュンダイとキャンペーンとかやってるから、Co2排出量削減とか環境問題について話すのかな、とか、色々想像します。彼らはこれまでも、アジアンヘイトやblacklivesmatterでも一番に声を上げるし、ジェンダー問題にも意識が高い、環境問題にも積極的に取り組んでいる。
そういう若者たちの行動を通して、世の中の問題を考えてみる、というのもいいかもしれませんね。
#BTS
#国連総会
「子供はわかってあげない」私の書いた書、いっぱい出てます!!
門司くんの家は代々書道家。「屋敷じゃ~~ん」って美波ちゃんが驚くような大きなおうちに住んでいます。私のずっと憧れている生活です。
「子供はわかってあげない」という映画の話ですが、今回、その中の劇中書をたくさん書かせて頂きました。
田島列島さんという漫画家さんのことはとても好きで、淡々と流れていく世界観と、しかし、実は結構踏み込んだテーマを扱っていたりして、大きな出来事やショッキングな事件が起こるわけではないのだけれど、うん、わかる、そう、そうだよね、そんな感じだよね、って静かに共感するところがたくさんあります。オタクの世界を描いていることが多いからなのか、自分と同じ呼吸を、とても感じます。
さすが沖田修一監督。そんな彼女?(彼かも?)の描く世界を全く壊さず、きれいで透明感のある、とてもすてきな映画になっていました。
演じている役者さんがみんないい。風景もいいし、美術もいい。無呼吸状態が一呼吸多いというか、、独特のテンポ感が絶妙。
そんな素敵な映画の中のとても重要な部分(門司くんの家が書道教室をやっているので、書道に関する小道具が多く、さらに、謎の宗教がポイントになるので、そのお札の存在も大きいのです)を担わせて頂いたことがとても嬉しかったです
私は、書道教室もやっていて、年に何回か大きな書道展にも作品を出品していたり、所謂王道の書道屋を営んでいるのですが、
今回のように何かの作品の中で、一つの役割を与えていただくことがとても嬉しいし、俄然元気が出ます
展覧会で評価されることよりも(??)、
枠のない中で、書によって、自分なりの解釈を表現すること、そしてそれがその作品の中で、何か役割を放っていること(勝手に思っているだけかもしれないけれどwww)、それがほんとに好きなんだと実感します。
そうは言っても、あ~~あそこちょっと弱かったなあ、とか、なんか文字間空白部分少なかったな、、等々、、と映画館にては、反省点ばかりなのですが・・
TOKYO2020まじやべ~~っス
毎日のメダルラッシュ🎖
日本人ってすごいなあ、、ってつくづく思います。
カオスとも言えるこの世界情勢の中、
あるチャンネルで競泳を見ていれば、ニュース速報で柔道金メダルの帯、スマホには体操の金メダルの通知・・
昔は新聞の号外などという時代もありましたが、今はまさに情報化の時代、怒涛のように嬉しい情報が流れてきます。
阿部兄妹も、美誠ちゃんと水谷くんも、、橋本くんも新しい体操日本の顔ですよね。堂安、久保くん筆頭に若者サッカーも将来がめちゃくちゃ明るい!!もちろん野球も、ソフトボールも、水泳も。。。挙げだしたらきりがないので、、辞めておきます。
本当に感動をありがとう、です。
この状態でこれだけ頑張っちゃう日本人って、有観客で、ホームの応援が加わったらいったいどんなことになっていたかと思うと、それはそれで見てみたかったな、とも思いますけど・・いけないいけない💦
でも、その反面、別のチャンネルでは、菅総理が緊急事態宣言の延長を暗~く伝え、前代未聞の感染爆発(爆発って言葉、インパクトありますよね。。)と訴える尾身会長の深刻な顔・・
歓喜の裏で、刻々と迫ってくるコロナ蔓延の影。
とんでもない時代を経験していると実感します。
大喜びで手を叩きながら、次の瞬間気持ちがどっと暗くなる・・そんな毎日を暮らしています。
とはいえ、
ちょっと楽しいなっと感じたこと一つ。
スケボ、かっこよかったですね。昔アメリカに行くと、ロスあたりでアメリカ人のお兄ちゃんたちが街中でかっこよく滑っていたのを思い出します。やってみたくて、やってみたことあるけど、あれ、乗ってるだけですごくむずかしいんですよね(-_-;)
ただのストリート系の遊びかと思っていたものが、今やオリンピック競技。そして日本人の若者がそこで金メダルを取る・・未来は明るい(*^-^*)
楽しかったのは、実況の瀬尻さん。
「やっべ~~~」
「ほんとにかっこいいっす!」
「おー、あつい~~💦」・・
「ほんとに彼すけぼーうまいっっすね」、にはついつい大笑いしちゃいました!(^^)!
そりゃそうだよ、うまいにきまってるし、ってつっこみました。
真面目な?きちんとした日本語で伝えるアナウンサーとの違いがまた面白くて、
現代の日本語の対比を聞いているようで楽しかった。
これからの日本語がすべて瀬尻さん風になっていくわけではないと思うけれど、これも一つの「文化」、というものなんだな、って微笑ましく思いました。
・・ちょっと刺さってしまったので、そのうち筆で書いてインスタにあげると思います
いや~~日本人、まじやべ~~っス (^^♪
#オリンピック #TOKYO2020
マイノリティやヘイト
我が背子は玉にもがもなほととぎす声にあへ貫き手に巻きて行かむ 大伴家持
うら恋し我が背の君はなでしこが花にもがもな朝な朝な見む 大伴池主の返歌
(万葉集から)
大伴池主は大伴家持の部下だったそうですが、公私ともにとても仲が良かったといいます。出張が多くて離ればなれになることが多かったらしいです。
・あなたが玉だったら手に巻いて連れていけるのに、、
(※玉は当時アクセサリーのようなもののことを言うことが多いです、この場合、ブレスレットって感じでしょうか。)
・あなたが花だったら毎朝見られるのに、、
これって、、どう見ても、相手を恋しく思う愛の歌ですよね。
日本の古典文学には、実は、性にとらわれない愛の表現がしばしばみられます。
万葉集だけでなく、日本書紀や伊勢物語、ご存知の源氏物語にもでてきます。
日本の伝統的な民族的宗教の神道をはじめ、仏教や儒教などもそれを否定はしていませんし、歴史上の有名な人物の中にもBLだったと言われている人が多くいます。
いにしえの日本はこのような関係に実は寛容だったんですね。
6月は、LGBTQ、性的マイノリティの権利を考える「プライド月間」。
東京都はやっとLGBTQの差別を禁じる条例を制定しましたが、国レベルでは、まだまだ進んでいません。
人が人として相手を思いやる、愛するという感情は、制限できるものではないし、
人間が存在する以上、誰かを愛おしく思う気持ちは、美しくて尊いもの、当然のことだと思います。
そもそもそのことが、議論や考察のステージに立つことすらが、不自然であるような、そんな世の中が早くくることを心から願います。
ビリーアイリッシュが幼いころのアジア人ヘイト発言に対して、謝罪をしていました。
そもそもその発言は中学生、のころのこと。誰かがそんな劣化した情報をあえて今彼女が世界的な影響力のあるアーティストになったときに公開するんですね。嫌な風潮です。
彼女は、自分が恥ずかしい、とストレートな表現で後悔し、謝っていました。
彼女のヘイト発言は過去のこと、まだ大人の感情も形成されていない子どもの頃のことをあえて今話題にする必要があるのか、と。(肯定しているわけではないです)
反対に、そのことに対して、素直にすぐに世界に向けて謝罪したこと、私はそんな彼女を尊重したいな、と思いました。
人だから、間違うことあるとおもうよ、間違ったことを認めること、反省すること、それが大切なんじゃないのかな、って、思うんですよね。
何度も失言を繰り返し、それに対し、心の伴わない形式だけの謝罪を繰り返す日本政界の老害たちが、なんとも恥ずかしく思えてならないのでした(-_-;)
ビリーアイリッシュは、男性、女性ということを超えて、一個人として存在する自分を見てほしい、と普段言っています。
実は、こんな世代が当然のように存在してきていることを最近感じます。
私の子供たちを見ていても、根本的な考え方がジェンダーレスになっていることは肌感覚でわかります。
性別、国籍、肌の色、、そんなことなにも関係なく、人が人として、相手を大切にして、地球を大切にして、それぞれの価値観を尊重し合える世界が、なんかすぐ近くまできているような気が、なんとなくしています、
生きているうちに、そんな世の中を見たいな、と思っています。
※万葉集の歌についての考察は、朝日新聞の記事を参考にさせていただきました。
※ウイキペディアも参考にしました。
※画像には、特別な意味、ありません・・
Mikrokosmos
わたしのブログをいくつか読んでくださっている方がいらっしゃったら、
多分、ある韓国のグループのかなり熱烈なファンであることを薄々感じていらっしゃるのではないかな、と思います。
普段、お子様方の指導をさせて頂いているので、あまりオタク感は醸し出したくないな、と常々気を付けてはいるのですが、やはり彼らを通して世界を見ているところがあるので、どうしてもわかる方にはわかってしまうようです・・
、ということで、ちょっとそのお話を書かせてください。
一昨日、昨日、と彼らのオンラインライブがありました。内容についてつらつらと、ここでお話するわけではないので安心してください😊
ライブの最後に、メンバーの一人が、スマホのライトを点灯して、窓を開けて、そのライトを外に向けて歌いながら照らしてみてください、って言いました。わたしたちという天の川をつくりましょう、って。もし、窓の外に同じようにライトをかざしている人を見つけられたら、すごく嬉しいじゃないですか?っていうんです。それって、ほんとに素敵だと思いませんか??
彼らのコンサートは最後ほぼ、Mikrokosmosという曲で終わります。
ミクロコスモス、というのはドイツ語読み。英語ですとマイクロコスモス、となります。「小宇宙」と訳されますが、文化人類学上、人間社会、のことを指します。大自然や超自然的世界を包括する外界を意味する「マクロコスモス」の対義語として使われます。
つまり、個々の人間、ということだと私は理解しています。
リーダーのRMは、
「僕たちは同じことを話します。僕たちは同じ声で話します。僕たちは同じ言語で話します。それがコミュニティです。同じ言語で話し続けましょう。」とこの曲について話していました。
彼以外のメンバーはそれほど英語を話しません。楽曲もハングルが中心ですし、コンサートのMCも韓国語で話します。
字幕がなければ全く理解できませんが、でも、なんかわかるのです・・・
RMの言っている、「同じ言語で話しています」・・まさにそれを感じるんです。
同じ人間、住む世界は違っても、話す言葉は違っても、でも、理解し合える、それを実感する時間です。
今は、コロナ渦の世界で、会場でたくさんの人たちと一緒にライトをかざすことはできません。私もベランダに出て、ライトを点灯したスマホを振ってみました、、私は他の光を見つけることはできませんでしたが、Twitterでこういう↓投稿をされている方を何人か見つけました。これを読んで、涙が出るほど感動してしまいました(*^-^*)
テヒョンさん😭😭居たよアミ近くに居たよめちゃめちゃ携帯振ってくれたよ楽しかったすごいねみんな一緒なんだねほんとにすごい😭😭😭😭 pic.twitter.com/TTogxgZoa1
— seira" (@i_l_u_x) 2021年6月14日
オフラインのコンサートでは、観客がスマホやペンライトを点灯させるので、会場全体がまるで無数の星で埋め尽くされた宇宙のように、それはそれは美しい光景が広がります。
最も深い夜にもっと輝く星の光
夜が深いほどもっと輝く星の光
僕たちは僕たちなりに輝いて
輝き、夢、笑顔
さあ 夜を明かそう
僕たち自体が輝いている ☆Mikrokosmos日本語訳より
一人一人の小さな個人ですが、国も人種も性別も超えて、大きな宇宙の中で光の塊になる瞬間です。この世界、それでいいんじゃないかと、そして、そうありたいと思う瞬間です。
※投稿、画像、日本語訳、お借りしました。
シュレーディンガーの猫
シュレーディンガーの猫についてのコラムが、今朝の新聞に載っていました。
「シュレーディンガーの猫」、とは、現代物理学での思考実験、シュレーディンガーが量子論について説いた理論のことを言います。
箱の中に1匹の猫がいて、たとえばその箱に毒を入れる。箱の蓋を開けるまでは、その箱の中には、生きている猫と、死んでいる猫と二つの世界が存在する。箱の中には、生と死が重なった世界が存在していて、それを観測した瞬間(箱をあけた瞬間)に、その猫やその箱を開けた人は、どちらかの世界を生きる、という物理学のひとつの考え方。私のような凡人には、言葉にしてしまうとわけがわかなくなるし、私が説明してもおそらく人には伝わらないでしょう(-_-;)
でも、その理論、理解はできるんです。
この言葉を初めて聞いたのは、ずいぶん前の「相棒」「物理学者と猫」の回。
ご存知、右京さんが、猫の生きている世界と死んでいる世界を行ったり来たりしながら、事件を解決していく。この理論のパラドックスがうまく描かれていてとても引き込まれる回でした。
私は、タイムワープ、パラレルワールド、といった物語が大好きで、その世界観にたまらなく刺激され、異様に引き込まれる傾向にあります。
一番好きな映画は、ウッデイアレンの「midnight in paris」。もう何回観たかわかりません、、防弾少年団の「花様年華」(映画ではないけど)と一連の彼らのタイムワープ成長ストーリーもスキ。
大昔の「back to the future」や「仁」「君の名は」も大好きだし、最近の「miu 404」もそう。テルマエもそうだよね、挙げたらきりがない、確かにこの種の物語は多いですね。
新聞の論説では、並行世界を描く作品が多い背景には、現実とは別の非現実が存在すると表現することで、今を豊かにし、現状を変えることも可能だ、というメッセージを込め、多くの人に希望を与えるから、と言っていました。今の不確かな世の中が求めているのでしょう。
ただ、私の場合は、この手の物語に現実逃避的希望を求めているわけではなくて、自分の抱いている思いを具体的に表現してくれる、といういわゆる、共感、を探しているから。この世には無数のパラレルワールドが存在していて、今こうしている間にも、別の世界が同時進行していて、そこで別(同じ、とも言うか、な)の私が存在して、別の時代を生きている、と、マジで、思っているんです。←イタイよね(>_<)
先日、清澄通りの4車線の横断歩道のど真ん中で、なぜか大げさに転びました、、手に持っていたスマホも派手にぶん投げてしまったので、画面がバキバキになってしまいました。身体中、派手な傷とアザで今、悲惨なことになっていて、もし今死んだら、DVでも受けていたんじゃないかと司法解剖に廻されるのではないか、と思うくらいの状態です・・
私は、子供のころから何でもないところでよく転びます。普通の階段からも普通に落ちます・・そして、きっとそれは私が別の世界に行きやすい体質だから、と思っています、、
ころんだり落ちたりした瞬間にどこかのパラレルワールド(できたら、アールヌーボーのパリに行きたい)に行けるはず、と実は、ずっと楽しみにしているのだけれど、生まれてからもう随分経つんですが、、今のところ、まだ、それ、ないんですよねえ・・