キレイな字を書きたい人に  

映画やテレビの書道作品を書いています。東京日本橋で書道教室も開いています

アカデミー賞の、すり替わってしまった記憶

日本の映画がアカデミー賞国際長編映画賞をとりました。

濱口監督は、以前「スパイの妻」という彼の作品で、参謀本部室(だったかな?)の額の文字を書かせて頂いたこともあり、ちょっと勝手に親近感を持っていて、「ドライブ・マイ・カー」は封切りと同時に観に行きました。3時間もある映画だとも知らず、終わって気が付いたらすっかり夜になっていて、びっくりしました。。微動だにせず、という言葉がハマります、3時間ほどんど動かずめちゃくちゃ集中して観ていた、という記憶です。村上春樹の螺旋階段みたいな小説を、その感覚をそのまま映像化できるって、さすがです。複雑で、一貫した淡々とした雰囲気は、独特の魅力を持っていました。

 

アカデミー賞グラミー賞の時期には、毎年、

一時的にwowwowに入ります。(・・・最近サブスクチャンネルの費用が嵩むので、優先順位が低いから、こちらは2か月くらいで解約します・・)

 

ウイルスミスがいきなり、プレゼンテーターを引っ叩いた時、唖然としました・・

最初からいろんなプレゼンテーターが、みんなやけにハイで、いろんなジョークを連発していて、同時通訳が聞きにくいので、めんどくさくてあんまり真剣に聞いていませんでした。だから、映像だけが先に目に飛び込んできたので、何がおこったのか理解するには時間がかかりました。

 

プレゼンテーターのクリスロックがスミスの奥さまの病気をジョークにしてからかったことが原因です。彼はそもそもアジア人差別発言をしたこともあります。

結果的に、ウイルスミスは、謝罪し、アカデミー主宰団体まで退会。

ただ、謝罪したのはスミスだけ。

奥さんを公の席で侮辱したクリスはOKなのですか?

その時、現場にいた人達は、彼のジョークを笑っていました。彼らはOKなのでしょうか。

 

ウクライナを武力で押さえようとするロシアと同じで、一方的な暴力は絶対許せません。スミスのしたことは、のちの彼の結果に値する行為だと、そこは理解します。

でも、「言葉の暴力」もあるはずです。

 

差別や偏見には、先進的であるように見えるアメリカ・・結局、根本的にこーゆーところがあるんだ、って再確認します。

 

スミスは絶対に暴力に訴えるべきではなかった。昨日のTBS「ニュースキャスター」で新コメンテーターの三谷幸喜さんが、「僕だったら、殴るふりをして、しらっと席に戻るよ」って言ってました。そのくらいのウイットに富んだ抗議はできなかったのか。大好きな俳優ウイルスミスだけにすごく残念です。

 

彼の暴力によって、言葉の暴力が、隠れてしまったこと。本来なら、大きく反感を持たれていたはずのクリスの行為がなかったことのようになってしまったこと、

それがとても残念です。

 

それに、せっかく日本映画の快挙があったのに、この件のせいで、かすんでしまったじゃないですか・・!!

 

弱者、マイノリティ、そして人種に対しての暗黙の差別は絶対反対です。

いよいよ明日は、グラミー賞です。

 

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#グラミー賞

#アカデミー賞

 

ロシアのおかあさんだって...

ワールドカップアジア最終予選の最後の試合、ホームのベトナム戦を見ています。

前回のオーストラリアアウェー戦の時の、死にそうな心境とは全く反対の気分で、ぼーっとただ画面を見ているだけ。日本、なんか苦戦してますけどね。

それにしても、ついこの前まで空っぽだった観客席がパンパンに埋まっている・・

みんなマスクこそしてるし、おーにっぽんにっぽん、の歓声こそ聞こえないけど、日の丸の旗を振りながら得点シーンには大勢の人がめちゃ盛り上がっています。

苦しい時間があっても、時の経過とともにそれって改善されるものなんだな、と実感します。

確かに、2年半SNSの世界だけでじっと待っていたバンタンだって、アメリカとソウルで有観客のコンサートしたし、来週はいよいよラスベガスでグラミー賞ですもんね。

 

こうやってぼちぼちだけれど、文字を残していると、時の経過を実感するものだなあ、と改めて感じます。

 

時が経てば、問題は徐々に解決していくわけで、人間って逞しい。

 

いまや、世の中のニュースは、コロナの話題から、すっかりウクライナの問題に変わってしまいました。はじめはすぐに侵略されてしまうかと思われていたウクライナが善戦していて、今や世界中が応援し、情報戦も組み込まれ、他人ごとではなく、新しい戦争の形を目の当たりにしています。応戦の方法も、援助の方法も様々な方法があることや、私のようなちっぽけな個人でも応援できる方法が色々あるんだということも実感します。

 

奇しくも、W杯ベトナム戦放送中のCMで新作トップガンのコマーシャルが流れています。

トップガンといえば、空母から飛び出す戦闘機が刺激的で、音楽とカリフォルニアの舞台が素敵で、アビレックスの革ジャンでバイクを飛ばすトム・クルーズがほんとにかっこよくて、日本とアメリカの映画館でなんど観たことか。

当時は、東西の時代。マーベリックの戦闘の相手はミグ機。仮想敵国はソ連アメリカとソビエトが静かに睨み合っていた時代です。CIAやFBIやKGBやなんかそういう話がすごく好きで、落合信彦さんの大ファンで、いっつも彼の小説を読んでいました。

 

実は、当時私はJALの国際線CAをやっていて、ヨーロッパの直行便でソ連上空を飛ぶときは、窓の外の写真を撮ってはダメ、客室の窓もしっかり閉めてくださーい、と案内していました。理由を聞かれるお客様に、「下から見て窓が開いていたら打たれますよ」なんて言っていた。(もちろん、そんなわけないです、地上から旅客機の窓が開いているかどうかなんて見えるわけがないですし、そもそも打たれるわけないですwww。ただ、ソ連上空飛行中はそういう規定だったのだと思います。打たれます、っていうのは私の笑えない冗談でした(;^_^。。

ビザの関係でモスクワ線を飛ぶときは、1年間モスクワばっかり飛ぶんです。何回も滞在しました。美しい街でした。そこに住む人々は私たちと同じ普通の人間です。優しくもしてもらったし、一緒に笑ったりもしました。

私が仕事を始めたころは社会主義の国だったロシアも、ゴルビーが出てきて民主的な国に代わりました。ベルリンの壁も崩壊しました。

自由な国になれたはずだったのに、

たった一人の独裁者のせいで、ウクライナだけでなく、ロシアの若者たちもたくさん死んでいます。子供を持つ母親として、こんなに悲しいことはありません。世界中の全員のおかあさんが同じことを思っているはずです。戦争で死んだり、人を殺したり、そんなことをするために子供を産んで育てたお母さんは絶対ひとりもいません。

 

はやく平和が戻ってきますように。人間は逞しい生き物だし、能力の高い生き物だから、きっとよい解決ができるはずです、、なんて軽々しく言えませんね、、

それでも、どうか、早く静けさが戻ってきますように、ウクライナの子供たちの姿を見るたびに心から祈らずにはいられません。

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当時、モスクワで買ってきたマトロオシュカ。エリツィンの中にゴルビー以前の歴代の指導者が入っています

 

W杯出場を決めた豪戦のあとの写真 最高にうれしかった~!!



 

 

 

 

 

 

瀬戸内寂聴さんのこと

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亡くなられた日?翌日?にたまたま夕暮れが悲しい感じで、ふと撮っていたものです


いつかはこんな日が来るんだろう、とは思っていましたが、、

瀬戸内寂聴さんがお亡くなりになりました

 

著書はたくさん読ませて頂きました。

数多くの恋愛遍歴からくる晴美さんの色めく恋愛小説から、お年を召されてからの仏教に裏打ちされた心に響く言葉の数々、、、嵯峨野の寂庵も伺ったことがあります、そこに来られている多くの方の何かに縋るような必死の眼差しを今でもはっきり覚えています。

 

私は、ファンというわけではありませんので、彼女を無条件でほめたたえる立ち位置ではありませんが、特異な人生を生きてこられた、人として豊かな先輩の、彼女の書かれるもの、話される言葉、を見過ごすことはできませんでした。その結果本棚には彼女の著書がたくさんあります。

 

新聞のエッセーも、お休みになられるまでずっと拝読していましたが、近年は、コロナ禍の苦痛とご年齢をその文からとても感じ、ご自身よりお若いお知り合いの方が亡くなった時などの彼女の文章からは、儚さというか、厭世感というか、とても弱弱しいものを感じ、予感めいたものは感じていました

 

世の中には、ものすごく悲しんでいられるかたがたくさんいらっしゃるでしょうし、100歳まで生きてほしかったとか、いやいやそれ以上もっと生きて助けてほしかった、とか、そういわれる方は多いと思いますが、

ただ、もしかしたら、ご本人は実はほっととされているのでは、などと感じています、、

たくさんの人の思いや苦痛を一気に受けとめていらっしゃって、ほんとに重かったのではないかな、、などと。

長く認知症を病んでいた母が亡くなったときも同じように思いました。意味は違いますが。

背負うものが重いひと、それを近くで見続けているひと、にはちょっと普通とは違う感情もあるのではないのかな、と勝手に思っています

重かった肩の荷をおろして、静かな時を過ごされてほしいと思います

 

 

娘が今仕事で京都にいるので、訪ねていこうかな、紅葉を見ながら、かなり寒くなっているだろう嵯峨野にも、足を運んでみようかな、と思っています。

 

#瀬戸内寂聴 さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こどもの文の輝き

前回の投稿、感情的になってしまったなあ、とちょっと反省しています、、

あるプロの方の文の推敲を依頼されて、読んでみたら、はあ??みたいな部分が多すぎて、、ごめんなさい、切れたまま書いてしまいました。投稿を削除しようと思ったけれど、最後の、助詞、接続詞、の部分、私がいつも思っているところなので、一応、残しておきます。

 

先日、作文教室の生徒さんのママから、嬉しいLINEを頂きました。

お子さんの作文が学校の代表に選ばれて、全校集会でみんなの前で読んだんですよ、って。

こういう連絡を頂く時が、私にとって本当に幸せな瞬間です。

 

小学生の低学年から作文の添削をしていますが、

学年が上がっていくに連れ、彼らの語彙力が上がっていくのを実感します。

ただ、お子さんたちを見ていて思うのは、会話力と作文力は別ものだな、ということ。おしゃべりが得意なお子さんがイコール文章における語彙力が多いかというと、そうでもないということです。これって不思議ですよね。語彙力と表現力は違うという事なんでしょうが、はっきり言えないので、もう少し子供たちを観察してみます😊

 

添削の中では、繰り返し文の構成を教えますが、書き方のルールをある程度習得すると、語彙力のアップと相まって、ほとんどの生徒さんは合格点の作文は書けるようになります。

 

ただ、その中でも、時々ハッとする文に出会うことがあります。

なぜなんだろう、と考えるのですが、おそらくこれが、表現力なんだろうな、と思います。

そして、その場合、大人の、所謂良い文章、を読んだ時より、心を動かされてしまうことが、実は多いのです。(あくまでも個人の感情です🙇)

大人のように、この言葉をこういう意図で使おう、とか、あの小説でこうやって使われていたからここに持ってこよう、とか、そういう気持ちが少ない、からでしょうか。

純粋にその「言葉」を使っているから、

・・・あまり伝わらないかも、、ですが、、(←語彙力wwww💦)

 

私はこどもたちの作文を読むのがとても好きです。

仕事なので一応赤ペンは入れますが、本当は、それを気にせず、たくさん思ったことを書いてほしい、漢字の間違いとか、主語述語の欠如とか、そんなことは私のほうで直すから、とにかくたくさんの感情や覚えた言葉を書き綴ってほしい、私は、その中から素敵な文章をたくさん発見したい、と、

いつも思っています。

 

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かっこいい文章

文章の添削をしていてよく思うことがあります。

本当にこの言葉の意味を知って使っているのだろうか?

 

世の中には難しい単語やかっこいい言葉が溢れています。

難しい言葉を多用してハイグレード感を出している文をよく見かけますが、     オリンピックの時にちょっと書かせて頂いたスケートボードの解説者の方の、チョーやべーとか、すごいっす、とか、私としては逆にそういう表現を見た時の方が、感情をストレートに表現していてずっと素敵だと感じます。

 

重厚な言葉を文の中に入れ込めばそれだけで文章がプロっぽくなるという勘違いは、まあありがちです・・子供たちが、ちょっと背伸びしてそんな言葉を突っ込んでくる場合は、限りなく可愛くて、ニコっと笑いながら、「この言葉はどういうきもちで使っているのかな?」と赤ペン登場ですが!(^^)!)。大人の方、特にプロの方の文でそれを見てしまうととてもがっかりしてしまいます。重厚な言葉が嫌、と言っているわけではなく、重い言葉を使うならそれなりの技量やそれに見合った文章力が余計に必要だと思うわけです。。

 

言葉は単純明快なほうがよい、というのが私の持論です。小説家でもない限り、一つ一つの単語は、単純でわかりやすいものを使うのが一番。だって文はあくまでもいかに思いを人に伝えるか、ですから。

文章に花を持たせる、文に輝きを加えるのは、実は単語ではなく、接続詞であったり、助詞であったり、そういった脇役である、と思っています。

それらを上手に、的確に使っている文章は独特の個性が出ますし、場合によっては名文になり得ます。

 

かっこいいい顔ではなく、しっかりと脇を固めた、セカンドLINE重視の、そんな文章を書きたいと、常に思っています。(因みに、、アイドルはかっこいい顔の方が好きです💦)

 

 

 

※ 以前助詞の使い方、についてはこのブログで以前書いたことがあるのでよろしかったらこちらも読んでみてください。

 

mipooooo.hatenablog.com

 

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国連総会に向けて SDGsって?

「持続可能な開発目標SDGsの支援を訴えるため、国連総会中のSDGMOMENTに、

国連事務総長とともにBTSが参加、世界にメッセージを発信します。」

先ほど、NYのJFK空港に7人が到着しました。

総会でのスピーチ頑張ってくださいね、そしてどうか無事元気におうちに帰ってほしいです。

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・・彼らの乗る飛行機のフライトログを追っていました、、🤓・・

 

RMの感動的なユニセフのスピーチは前にこのブログで載せたことがありますが、あの時のことを思い出しても、明日のスピーチには期待しかありません。同じ時代を生きている一人の人間として、彼らを誇りに思います。そのことはまた聞いたあと、思うことがあれば書いてみたいと思います。

 

国連総会でのテーマはSDGsについて。

この言葉を最近よく見かけます。持続可能な開発目標、2030年までに達成すべき17の国際社会共通の目標、のことです。極度の貧困と飢餓の撲滅、とか、ジェンダー平等の推進や女性の地位向上、などの、わかりやすい内容から、環境の持続可能性確保、などという抽象的で一瞬なんのことかわからない言葉もあります。大手の企業では企業目標や実績として取り組まなくてはいけないということもあり、「環境問題に積極的に取り組んでいる良い企業」、というイメージ造りに使われる感が強いのですが、個人個人の身近なところにもその取り組みは転がっていて、知らない間に自分たちもSDGs行動していた、なんていうことも実はあるんですよ。

そもそも言葉が難解で、つい理解を避けたくなってしまいますが(日本はまだまだこういうところ、遅れていますよね・・)、

例えば、捨てるのもったいないから余分に食材を買わない、お料理方法を工夫する、とか、古い家を買っておしゃれにリノベーションをして住む、とか、小さくなった子供服をミシンで縫ってエコバック作っちゃった、とか。読み終えた本を廃棄するのではなくメルカリで売ってみる、とか。そんなこともこの項目の中に含まれる行動です。

 

子育ても終わり、子供たちがそろそろ自立しはじめて、これから私にできることって何だろう、と最近よく考えます。バブル期の消費、浪費に明け暮れた時代を生きてきた私たち、空気や森や海や、、色々汚してしまった我々世代が、これからの若者に、これから生まれてくる子供たちにできること。やらなくてはいけないのは、唯一、美しい世界を取り戻し、残してあげること、、そんな風にまじめに考えるようになりました。SDGsなどと難しい言葉を理解しようとしなくても、その気持ちを持つだけで、ちっぽけな私でもなにかできることがあるような気がしています。

 

明日のRMのスピーチの中に、また何かヒントがあるかもしれません。ジェンダーレスのことを中心に話すのかな、水素燃料を進めているヒュンダイとキャンペーンとかやってるから、Co2排出量削減とか環境問題について話すのかな、とか、色々想像します。彼らはこれまでも、アジアンヘイトやblacklivesmatterでも一番に声を上げるし、ジェンダー問題にも意識が高い、環境問題にも積極的に取り組んでいる。

そういう若者たちの行動を通して、世の中の問題を考えてみる、というのもいいかもしれませんね。

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広いなあ・・今頃ナムさん緊張してるだろうなあ・・

 

 

#BTS

#国連総会

 

 

 

 

 

 

 

 

「子供はわかってあげない」私の書いた書、いっぱい出てます!!

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門司くんの家は代々書道家。「屋敷じゃ~~ん」って美波ちゃんが驚くような大きなおうちに住んでいます。私のずっと憧れている生活です。

子供はわかってあげない」という映画の話ですが、今回、その中の劇中書をたくさん書かせて頂きました。

田島列島さんという漫画家さんのことはとても好きで、淡々と流れていく世界観と、しかし、実は結構踏み込んだテーマを扱っていたりして、大きな出来事やショッキングな事件が起こるわけではないのだけれど、うん、わかる、そう、そうだよね、そんな感じだよね、って静かに共感するところがたくさんあります。オタクの世界を描いていることが多いからなのか、自分と同じ呼吸を、とても感じます。

 

さすが沖田修一監督。そんな彼女?(彼かも?)の描く世界を全く壊さず、きれいで透明感のある、とてもすてきな映画になっていました。

演じている役者さんがみんないい。風景もいいし、美術もいい。無呼吸状態が一呼吸多いというか、、独特のテンポ感が絶妙。

そんな素敵な映画の中のとても重要な部分(門司くんの家が書道教室をやっているので、書道に関する小道具が多く、さらに、謎の宗教がポイントになるので、そのお札の存在も大きいのです)を担わせて頂いたことがとても嬉しかったです

 

私は、書道教室もやっていて、年に何回か大きな書道展にも作品を出品していたり、所謂王道の書道屋を営んでいるのですが、

今回のように何かの作品の中で、一つの役割を与えていただくことがとても嬉しいし、俄然元気が出ます

展覧会で評価されることよりも(??)、

枠のない中で、書によって、自分なりの解釈を表現すること、そしてそれがその作品の中で、何か役割を放っていること(勝手に思っているだけかもしれないけれどwww)、それがほんとに好きなんだと実感します。

 

そうは言っても、あ~~あそこちょっと弱かったなあ、とか、なんか文字間空白部分少なかったな、、等々、、と映画館にては、反省点ばかりなのですが・・